kodomo No Ie

PAPAS & MAMAS No.34 March 2009  Editor: ユウ

1: かんしゃく
2: 自閉の世界
3: スポーツのススメ
4: エコでエコノミーな3つのこと
5: なくてもいい
6: 編集後記


かんしゃく


「答えは全て明確というのではないのだけれど・・」と最初に断ってこのエッセイを書き始めたいと思います。私は改良するべき点はいろいろありますが、自分のことをなかなかよくできた父親だと思っています。今回のエッセイは自分の親としてのあるべき姿についてです。決して皆さんがどのように子供を育て、また育てるべきかという話ではありません。

最近私は『かんしゃく』について思考をめぐらせています。皆さん其々かんしゃくの体験はあると思いますが、ここで私が述べる『かんしゃく』は子供のものではなく、我々大人たちが怒りの感情を剥き出しにしてしまったときのことです。つまり、子供に対しての怒り、それが本当にそれほどの怒りを持って立ち向かわなければならなかったのだろうか?と疑問を抱くような反応を私たち大人がしてしまったときのことです。しかし同時に「怒鳴らずに子供を育てることができるのだろうか?」と、私は考えてしまうのです。

子供をしっかりとしつけようとして、時には怒鳴ってしまうことがあるのですが、親が『怒鳴る』ということは返って逆効果にならないでしょうか?子供達が親である自分の良いところを見て育ってくれることは非常に頼もしいことです。しかし子供達は親の悪いところも吸収しながら育っていくのだということを我々大人は充分に認めているでしょうか?動物や人は親の行動・振る舞いを見ながら育つものです。親である自分が子供に対して怒りをぶちまけるという事実を見直したとき何か恐ろしい気持ちになってしまいます。

ではどうして私は子供に対して怒鳴ってしまうのでしょうか?そう自分に改めてたずねてみると、その理由は子供にあるのではなく、自分のイライラした気持ちから来るものだということに気がつきます。例えば時間厳守について、私は時間をきちんと守るということを非常に大切にしています。ある意味で、固執し過ぎていると言えるでしょう。私にとって真の時間厳守とは決められた時間通りに到着するのではなく、少なくとも5分前には到着することなのです。最近カズオの登校の際にこんなことがありました。その日私たちは私にとって『何が何でもこの時間より遅くなってはいけない!』時刻より3分遅れて家を出ました。そして学校に着いたのは8時46分でした。この時点で私にとっては1分の遅れです。「遅刻してしまうかもしれない」と心配な私はイライラしており、子供達に当り散らし、声を上げる、怒鳴りつける、などといった行動を取ってしまいました。学校には何とか滑り込みセーフで遅刻にはなりませんでした(1分遅れだったのですが・・・)。

ここで皮肉なことは私の子供達はこせこせしない非常に心の寛大な子達だということです。確かによく考えてみると、子供はみんなそんな心の持ち主なんですよね。そして子供はみな子供らしい行動を取るものなのです。とても良い子でさえ大人のリミットを試すものなのです。私は普段そんな子供達を理解し、できるだけ寛大な気持ちで受け入れるように心がけています。実際、子供たちが良い子でいると感謝の気持ちを示し、ほめるようにしています。しかし私が何か物事をこなそうとしているときに彼らの(子供であるが言え発生する)アジェンダと私の予定がぶつかってしまうのです。私が夕食を用意しよう(建設的な義務執行)としているときやEメールをチェックしよう(あまり重要性は認めてもらえないかもしれませんが・・)としているときに子供たちが外で遊びたいと言うなど。子供たちを見ながら用事を済ませたりすることもあります。しかし両方できない場合もよくあります。また私が両方こなせると思って用事をしていると、彼らの行動を一部始終見張っているわけではありませんから、子供たちは私が禁止していることを(例えば壁に落書きをするなど・・・)しているかもしれないのです。そしてそれを発見した私は「こら~!何やってるんだ!壁に落書きをするなと言ってあるだろう!」と怒鳴ってしまう、という結末になるのです。

子供は基本的にしてもよいこと、してはいけないことを知っていると思います。しかし彼らは知っていながら『してはいけないこと』をしてしまうのです。それが子供でしょう。そういう子供に対してむきになって、憤慨し、怒鳴ってしまっているのが大人の私なのです。そして更に最近私は自分のかんしゃくについてつくづく考えています。怒って怒鳴ってしまった結果にはあまりよくないことがある、と。それはたとえ私が間違っていないときにでもそうだと思います。確かに子供が守るべきことを守らずに悪いことをしたかもしれません。しかし、問題はそれを叱る大人が本当に声を上げる必要があるのだろうか?ということです。私が怒鳴ることによって何か達成できることがあるのだろうか?怒鳴り、威張り散らすことが正しい教育なのだろうか?子供が『してはいけない』と言われていることをしてもかまわない、と言っているのではありません。『してはいけない』と言われていることをしたときに、どのようにアプローチするのがベストなのだろうか?と自分に問いかけているのです。

そして私がイライラしてしまった遅刻寸前事件はどうでしょう?学校に遅れたからって子供に対して怒ってよいのでしょうか?(DMVによると6歳児はまだ自分で運転できる年齢ではないようです)時間をきっちり守るということは勿論とても大事なことです。子供が時間をきっちり守れる人間になるように育てるのは正しいことでしょう。しかしよく考えてみれば、あの日学校に遅れそうになったことは子供たちの責任ではなく私の責任でしょう。(このエッセイを書きながら自分の子供たちはまだ時計の読み方を覚えようとしているところなのだ、という事に気が付きました。)従って、朝の学校へ行く支度の仕方や、もしくは前の夜もっと早く床につく、などと朝学校に間に合わなくならないような方法を考え直すのは私のすべくことなのでしょう。

しかしながら、「怒鳴らずに子供を育てることはできるのだろうか?」と言う大きな疑問はやはり私の頭に残っています。そんなことってできるのでしょうか?試しに私は過去7日間子供たちに対して怒鳴らないように我慢してみました。大変な努力が必要ですが、やろうと思えば以外とできるものです(結構スレスレのところへは数回達しましたが何とか食い止めました)。

このアプローチを取り出して1つ気づいたことは、苛立ちを感じさせる子供たちの行動にはいろんな種類があるということです。私はたいていは子供たちに「止めろ!」と注意をするのですが、(「Light Saberでソファーを叩くな!」「壁によじ登るな!」「お兄ちゃん(もしくは弟)の顔を触らない!」などなど・・)これを私が彼らの立場になって考えてみるのです。私の息子たちは物を叩くことが好き、何でも触ってみたい、よじ登れるものにはよじ登る、はずせるものははずしてみたい、などなど。こういった彼らの行動がただ単に私を苛立たせるだけのものであるのなら目をつむる努力をします。同じように、彼らが『うるさい』という事に対しても私は我慢するよう努力しています。もし我慢ができなければ「もう少し静かにしようね」「~を叩くのは止めようね」と言うふうに丁寧に話しかけてみるようにしています。このアプローチを取り出してから確かに私をイライラさせるものの量は増えました。しかし子供たちに対して怒鳴るのではなく敬意をもって話しかけるというやり方には驚くほど効果があります。何でもかんでもすぐに声を上げたり怒鳴りつけるのではなく、敬意を持って子供に接しながらしつけに取り組んでいます。これはきっと良い方法だと思うのでしばらく続けてみようと思っています。
(ハリソン)原文英語 



自閉の世界

自閉症と診断された息子さんを持つアニシッチさんが、ご自分の研究、体験談を連載。今回が最終回。

そんな訳で、以上が私が毎日息子と接する際に努力している事である。息子が『調節異常』になっていないか、異常のきっかけになるものは何かと目を見張っている。きっかけがあらかじめ予測できる時には、きっかけを避けたり、先生に警告したりする。息子が『調節異常』になっていると感じる時には、正常に戻すために息子に前述の運動をさせたり、単に公園に連れて行く。息子が3歳の時に、特別学級の先生に一度、息子に薬を飲ませる気は無いか訊かれた事があるが、ノーと言った。副作用の可能性がある薬というもの自体が嫌いだからというだけでなく、私は息子に、他の子供とは違う自分の個性(障害)と共に生きて行ける方法を身につけて欲しい。安易な現実逃避をもたらす、ドラッグやアルコールに頼る弱い大人に育って欲しくない。それで、いつかは息子が、自閉症らしいといわれるアインシュタインやビル・ゲイツ等の天才に育つかもしれないと夢見ながら、毎日を切り抜けるのである。

今検討中なのは、グルテンと乳製品を除いた食事療法を試すかどうかである。女優のジェニー・マッカーシーが自閉症の息子との生活を書いた『ラウダー・ザン・ワーズ』いう本を出版して、メディアに取り上げられたので、この食事療法の事を聞いた事がある読者もいることだろう。ほとんどの医者は、この食事療法が効果があるとは科学的に証明されていないと言うが、私は母親の第6感の方をもっと信じている。(既にこの食事療法などを取り入れた、自閉症を専門にする医者達の間では科学的証明も挙げられている。それに関してはwww.autism.comに詳しい。)また、娘と通う子育て教室でのクラスメートで、食事療法とサプリメントを取り入れて、目覚しい結果が出たのを目撃している。実は3年前に、食事療法は息子の様な高機能の子供には効かないと言われたのと、やはり大変な仕事なので、食事療法を取り入れない事にしたという経緯がある。ところが先日、食事療法等を取り上げている医者によるセミナーに行ったら、息子の様な高機能自閉症の子供にも効果が出ている言う。とにかく一人一人違うので、自分の子供に食事療法が効くかどうかは、一度やってみないとわからないとのこと。私のモットーは「何事もやらずに後悔するより、やって後悔する」なので、そのうち食事療法を試すことと思う。今の私の仕事量にさらに食事療法を足したいか?と言えば、もちろん嫌である。でも、息子の為ならどんな大変な事でもするか?と聞かれれば、もちろんやる。食事療法を試して、報告する価値のある事があれば、またいつかパパス&ママスに書く事にする。
(アニシッチ)


スポーツのススメ


残り数秒、時計の針がカチカチと鳴り響いた。エネルギーで満ち溢れた子供達は、ボールを持っている敵の先を読もうと、必死になって四方にちらばった。しかし、選手はディフェンスをすり抜けて、見事なシュートを決めたのだ。と同時に試合終了のブザーが。一方は勝利で歓喜の声を上げ、そしてもう一方は悔しさをにじませた。両チームのコーチや応援席で見ていた親達は選手達にベストを尽くしたこと、そして彼らの戦った姿勢を誇りに思うべきだということを伝えた。少年スポーツは、子供たちが将来さまざまな困難に直面したときのために対処する力を、そしてチームとして人と調和しながら多くのことを学ぶ力を養っていくものだと思います。又、能力がチームの中で発揮されたとき、優れた才能が認められるのです。

「勝つことがすべてではない」とよく言いますが、僕は両方の意見を持っています。あらゆる手段を使って勝利に導く行為は、確かに非倫理的であり、非現実的です。勝つことだけにこだわった子供たちは、努力の結果、試合に負けたときには失望落胆することでしょう。一番大事なのは何なのか?これを見失い、子供のためにと思い込んで、沢山の習い事にお金をつぎ込む親がいかに多いことか。僕が住む所には、目移りする程沢山の「有料スポーツ プログラム」があります。我が子は将来のタイガーウッズとなるのではないだろうか? など、密かに期待している親の気持ちも分かります。経済不安定なこのご時世、長男が4年制の大学に入れるとしたらそれは、バスケットボール奨学金のみではないだろうか、と僕も時々考えてしまうからです。

少年スポーツは、子供に勝つ喜び、そして負ける悔しさを経験させる場だけではなく、親と子供との絆を深めてくれる場所でもあります。息子達は今、空手やバスケットボール、サッカーなど、さまざまなスポーツをしています。サッカーには全く興味がなかった僕でしたが、息子達がLAホークスに参加するようになり、毎週日曜日に朝の練習で走り回っている姿を見るのが喜びになりました。このLAホークスサッカークラブは、コーチをはじめ、器具の取り付けやサッカー練習の相手など、全て親のボランティアで成り立っています。3つのグループに分かれていて、一番人数が多いのが、U9と呼ばれる小学校1年生から3年生のグループです。U12は小学校4年生から6年生までのグループ、そして6歳以下の子供たちは、幼稚園チームとして練習をしています。いつものコーチがお休みだった為、一日だけ僕が幼稚園チームのコーチをしました。ある男の子が僕を見て一言。“You Are Scary!!” 確かに、185cmの一見恐そうな顔をした僕は、小さな子供にとって、まるで山男に見えるのでしょうね。子供たちは友達と親と一緒に、スポーツを楽しみながら学んでいるのです。自由に走り回ってもOK、そして子供は子供らしくてOK...LAホークスが好きな理由はここにあります。

スポーツをするには、それなりに出費が伴います。LAホークスは経済的負担が他のチームに比べ少なく、入会金以外に必要なのは、ユニフォーム、靴、サッカーボール、そして年に数回出場するトーナメント料のみです。毎週日曜日の朝9時から(幼稚部は10時から)練習をしていますので、興味のある方は、アーケディアのCamino Grove Elementary Schoolへ子供と一緒に見学に来てください。
 (バー)原文英語


エコでエコノミーな3つのこと


1. ガーデニングをカリフォルニアの気候にあった植物でコーディネートする

南カリフォルニアの気候では美しいイングリッシュガーデンや日本庭園の実現は残念ながら水道代がよりかかってしまいます。また土地柄にあわないため手入れも手間がかかります。さらに、原産でない植物につく害虫の天敵が生態系にもともと存在しないため、化学農薬を使用せざるを得ない場合もあります。カリフォルニアを原産地とする植物を植えると、手入れが簡単で、水もあまりやらずにすみます。「この砂漠気候でなにが?」と思われるかもしれませんがその種類がおどろくほどあります。イングリッシュガーデンや日本庭園一筋の人でも今までにみたことのないカリフォルニア土着の植物をみれば少しずつでも植えてみようかという気になるかもしれません。

クレアモント(210東)にあるRancho Santa Ana Botanic Garden (www.rsabg.org)はカリフォルニア特有の植物をモチーフにした植物園で、種類もとても充実しています。具体的にカリフォルニアガーデンを実現するための方法やそのメインテナンスに関する情報も得られます。近場ではサンバレー(210西沿い)のTheodore Payne Foundation (www.theodorepayne.org)があります。カリフォルニア原産プラント専門のガーデンショップで、ワークショップなどもあります。

2. 白熱電球(incandescent lights)をコンパクト蛍光灯(Compact Florescent Lights)にかえる

エコ関係のイベントで必ずといっていいほどすすめられるのが、コンパクト蛍光灯の使用です。この蛍光灯は、ブランドによっては75%、照明による電気の使用を削減できます。また、従来の白熱電球と比較して、10倍も長く使用できます。特に長時間電気がついている部屋、キッチンとかリビングに最適です。またいろいろな種類があり、家のさまざまな場所やランプに使用されている白熱電球の寿命がくるたびに、コンパクト蛍光灯にとりかえられます。屋外用などもあります。値段は白熱電球と比べて、やや高くなりますが、寿命の長さ、エネルギーの節約になることを考えれば、もとは簡単にとれます。もちろん使っていない部屋の電気はこまめに消しましょう。

蛍光灯にはごく少量の水銀が含まれるので、取り扱いには十分注意し(こわれないように)、有害ごみとして処分されなければなりません。(パサデナなど各自治体独自のプログラムで処分できる方法もあります。)

3. 一回使って捨てるものをなるべくひかえる

例1 使い捨て食器
ポットラックや集まりをコーディネートする時、個人でお皿やフォーク、コップなどを持参してもらうことからはじめられます。パーティーなど大人数の集まりでは全員の協力はむずかしいかもしれませんが、規模の小さいことからはじめれば、習慣として取り入れてくれる人も出てくるでしょう。

例2 キッチンペーパー
「生活必需品」としてどの家にもあることでしょう。ふきとって捨てられる、一度その便利さになれてしまうとなかなかあともどりができません。でも考えてみれば、古くなったTシャツやタオルでたいていの掃除はできるものです。雑巾を復活させてみませんか?

例3 ペットボトル
ついつい出先でペットボトルの水を買いがちです。その場合、ふつうのごみ箱にやむをえず捨ててしまう場合もあります。カリフォルニア州のペットボトルのリサイクル率は50%という統計もあります。一度使ったペットボトルに飲み水をいれる、つまり再利用はPET ボトルの性質上おすすめできません。何度も使える専用ボトルの使用を考えてみませんか?
(林)

なくてもいい


我が家で唯一自慢できることといえば、ないもの、の多さであろう。まず、テレビがない。それは、経済的な理由からですか、と友人にきかれたが、そうではない。テレビがないほうが、ずつと豊かな生活が送れることに気付いただけだ。もちろん子供を黙らせておくには、もってこいの道具で、あれば、見せておけば私の用事もすこしできるだろうけど、なければないで、それはそれで、なんとか日々をおくっていくことができるので、テレビは置かない、という選択をした。そうすると子供たちは、けんかをしたり、泣いたり、私の耳が痛くなるほど騒がしいけれど、そうやって人との折り合いのつけ方とか、交渉の仕方とか学んでいくのだろうと思い、しばらくは騒音の中で生活をする覚悟をしている。また、本を読む時間もふえている。そんな中で、今うちではやっているのは、にらめっこ。一対一になって向き合い相手の顔をきっ、とにらみつける。目をそらしたり、ふきだしたら負け。3歳にもならない下の娘も、結構強い。だいたい普段の生活で相手の顔を真正面からじっと見つめることなんて、ない。私は夫の顔を実際に見たことがなかったのだろうか。結婚そろそろ10年になろうとしているが、私は、夫がこんなにもこっけいな顔をしていたとは、なぜ気付かなかったのだろう。まるで福笑いの失敗作である。もちろん私は夫に勝ったことがない。ということは、私は相当まともな顔をしているのだろう、多分。

次にないものは、乾燥機。ロサンゼルスのこの乾燥した気候で、どうして服を乾かすのに機械が必要なのだろうか。太陽の下で洗濯物をパンパンとして、風に泳がせるのは、実に気持ちがいい。量は、多ければ多いほど達成感がある。今は毎日十分に達成感を味わえる量があるが、そのうち一人、二人と巣立っていき最後は、私と夫だけの、つまらない量になってしまうのだろう。

今度紹介する我が家の、ないものは、白米。うちで完全玄米食に変えてから一年がたつ。きっかけは、夫に買い物を頼んだら、誤って玄米を買ってきたことだった。そのときは、「あなたは米を買うこともできないの。こんなにまずいものどうやって食べるのよ。」と少なくとも10分は説教が続いた。数日後たまたま、こどもの家のヤードセールで丸元淑生のクックブックという本を手に入れて、読んでいたら、玄米の発芽のさせ方がのっていた。どなたがおいていってくださった本なのか分からないが、それ以来毎日自宅で発芽させたばかりの玄米を炊いていただいている。玄米は発芽をさせると、消化もよくなり、ミネラルの吸収もよくなる。そして、なんといっても、発芽したばかりの玄米から生命力が与えられる気がする。水を少し多めに入れて、普通の炊飯器で白米同様に炊ける。おにぎりも、チャーハンも、玄米でしている。後ほど、玄米の発芽のさせ方を、記しておく。

それから、ないものは冷暖房。寒いときには着込んで、暑いときには、うちわで、またはせいぜい扇風機。自然環境を変えて心地よい環境にするというより、自分の体を、今いる環境に適応させる、というのが方針。ただお客様にきていただいたときは、申し訳ないので、やっぱり取り付けようか。

最後に、スーパーの袋。私は買い物をするときは、クーラーボックスをショッピングカートにいれて店に入り、買ったものはすべてまたクーラーボックスにいれるので、袋は使わない。小袋は、穴が開かないように大事に使い一度使ったものは裏返して干してからたたんで何回もリサイクルして使っている。

さて、冒頭では自慢といったが、実は自慢でもなんでもない。何のためかといわれれば、ただの自己満足です、と答えるしかないだろう。


玄米の発芽のさせ方
1. 玄米は一晩水につける。
2. ザルにあげる。このとき温度が高いと発酵しているので、あらう。
3. ザルごとビニールをかぶせる。完全密封はしないように。
4. 直射日光のあたらないあたたかいところにおく。夏場は室温で10時間ほどで1ミリ発芽する。冬は、私は種火がついているオーブンのなかにいれておく。温度が低いと時間がかかる。そのときは、5,6時間おきに一度ザルの上から水をかけて玄米を洗っておく。
発芽1-2ミリが食べごろ。放置しておくとどんどん伸びてきて苦味が出る。冷蔵庫に入れると発芽はとまる。
(ユウ)


編集後記

園長先生が手術をされるとのことで、いつもお世話になっている私たちにできることというのは、お祈りだとおもいます。普段神の存在を信じていなくても苦しいときの神頼みであっても、真剣にお祈りをすれば願いは届くと思います。どうかお早いご回復を。